「短縮URLは必要悪か、単なる悪か。」という記事を読むと、「専門家はパターナリスティックなものだ」と再確認できます。最近は「ペイ・パー・ポストは悪か」といった論争もありましたが、同様です。
その成り立ちから言っても、Webには自由主義が相応しい。Web上では「何でもあり」がいい。使いにくいサイトはユーザに支持されないだけ。心配しなくても淘汰のメカニズムが働くはずです。個々のユーザを信用した方がいい。もっと人間を信用しましょう。
でも、専門家には、素人を信用しない傾向があります。Web全体の理想を考える人の志は立派です。しかし、自由なWebとは相性の悪い発想がパターナリズムです。常に「ルールの押しつけ」に代わる解決策が存在するはずなのですが、「手っ取り早い」解決策をとる誘惑に負けてしまう人が多い。それが「善か悪か」といった議論になってくる。こういう議論をする人は、対象を「悪」と決めつけて抹殺したがっている。
しかし、私はルールの押しつけには反対です。「善か悪か」といった原理主義的な議論もフェアではないと考えます。
検索エンジンのためにWebを作るかのようなセマンティックWeb原理主義には反対です。
素人プログラマーの新しい挑戦を阻害するセキュリティ原理主義にも反対です。
使いやすいリッチクライアントの発展を阻害するアクセシビリティ原理主義にも反対です。
使いやすさのために多大なコストを強いるユーザビリティ原理主義にも反対です。
原理主義者の気持ちも理解はできます。個々の専門分野は役に立ちます。それぞれの分野の中で理想的な世界が描けます。それを実現したくなる気持ちは分かる。しかし、専門分野は、単に役立つ道具でしかない。主役ではありません。
主役は人間です。まず「人間がやりたいこと」ありき。
専門家が「人間がやるべきこと」を決めるなどは主客転倒です。
誤解の無いように言うと、原理主義的主張をするなとは言ってません。あらゆる言論の自由は尊重されるべきだと考えます。原理主義的な極論は、議論を深める役にも立ちます。
むすび
我々のほとんどは、なんらかの面において専門家です。そして「専門家は素人にルールを押しつけたがる」ものです。これには逃れがたい誘惑があります。私にもあります。肝に銘じておかなければ。
おまけ
この誘惑は、社会主義への誘惑と根っこが同じです。専門家が描く理想的社会が実現できないのは、その専門的見解に同意しない素人という邪魔な存在のせいです。そこで専門家は独裁によって社会主義の実現を目指す。社会主義独裁政権が実現したときには、テクノクラートが実権を握り、存分に腕をふるう。反対する人々を弾圧してでも、理想社会の実現を推進する。20世紀にこういう歴史が繰り返されましたが、その根っこには「素人にルールを押しつけたがる」という専門家の性質がある。
私がパターナリズムに対して敏感に反対する背景には、このような歴史観があります。人々が何世代もかけて獲得してきた自由の価値は盤石ではなく、誰かが守り続けないといけない。