ファースト・パーソン・リーダー
07-08-13
posted by
kotaro
ノベログコンバーターがおもしろいです。なにかといえば、blogのRSSを読み込んで、いわゆるサウンドノベル(ノベルゲーム)形式のflashコンテンツとして読むことができるもの。変換してみると、サウンドノベル系のゲームをプレイしたことがある人ならわかるであろう「あの感じ」が、意外とどどんな文章でも成立することがわかります。文章って表示形式を変えるだけでこんなに印象が変わってしまうものなんですな。
このブログのエントリーでもやってみました。
-ZEROFACES より [実録!スタッフブログができるまで(前編)

さっそくノベログコンバーターで青空文語を読むという試みも展開されていますが、じつはWindows用のデスクトップアプリとしてもノベルゲーム風テキストビューアというソフトが以前から公開されていたりもします。このソフト僕はまだ使用していないのでノベログコンバーターとの比較はできないのですが、こんなふうになんとなく一般的になりつつある「ノベルゲームのように読む」という体験が、たんなるネタにとどまらない射程距離を持つように思えるのは僕だけでしょうか。
ノベログコンバーターの絶大なる威力を目の当たりにしたところで思い出したことがありました。以前批評家の東浩紀さんと話す機会があったとき伺った話のなかで、氏が「ノベルゲームというのはつまり、一人称で文章を読むための装置だ」という意味の発言をされていて、いたく膝を打った覚えがあったのでした。ノベルゲームをプレイするユーザーは、テキストと、比喩ではなく「向かい合って」対峙しているのだと。いまやコンピュータゲームの一大ジャンルであるところのFPS(ファースト・パーソン・シューター)になぞらえれば、FPR(ファースト・パーソン・リーダー)というわけです。
そしてそう考えてみると、ファーストパーソンリーディング的な体験が新しいテキストコンテンツのありかたを生んだりもするのかなーと思ったりもします。ケータイ小説なんてのもそうなんですかね? 読んだことがないのでなんともいえないのですけれども。








そういえば、なぜSecondLifeなどのメタバースでは、一人称視点ではなく、三人称視点が主流なのか?
そもそもメタバース≠ゲームという議論もあるし。ゲームであるDOOM系は没入感を得るための一人称で当然だと思うけれども、メタバース系では、なぜそうなっていないのか?
自分のアバターの姿が見えなければ、感情移入できない?
DOOM系ゲームはシューティング、操作という「行為」に没入するものだけれど、メタバース系はそもそも「没入感」とは違うような気もする。
例えば「一人称視点のメタバース」を想像すると、あまり楽しくなさそうな気がするのですが、どうでしょう?
没入か感情移入かともかく、その「行為」そのものではなく、「対象」(自分のアバターや、相手のアバター)が主役だから、三人称視点になっている?
14 Aug 2007 | by: ishibashi