じっとマウスカーソルを見る
07-10-22
posted by
kotaro
id:tikedaさんの「見出しにマウスが乗ったときカーソルを変える」というエントリーを見て、そういえばマウスカーソルって変えられるんだったなーと激しくひさびさに思い出して、ちょっとやってみようかなと思ったんですけど、MacOSXのブラウザはまるっきり対応してないわ(FireFoxはこんな状態)、Windowsでもサイズ固定で強制リサイズされちゃうわで悪戦苦闘のすえやってみたかったことはできないという結論という結論になりました。
こういうことがやりたかったんですが…

つまりは、これほどまでにマウスカーソルを自由に変更したいというニーズは少ないということですよね。じっさい僕もこういう冗談以外でマウスカーソルを見慣れたもの以外に変更したいとは思わないです。みなさんはマウスカーソルがふいに変わったり消えたりするのを目の当たりにすると、予想以上のショックとか生理的な嫌悪感を受けたりすることないですか? 仮想マシン系のアプリケーションを使ってるとカーソルが仮想マシンに奪われて消えたりすることがよくありますが、そういう時の自分の慌てぶりに自分自身がびっくりすることすらあります。
人間が生まれて成長する過程で自己を認識するさい、もっとも最初にそのよすがになるのが自分の手だとよく聞きます。自分自身の視覚をもって最もまじまじと見つめられる「自分」が手のひらだからです。それと同様に、コンピュータのインターフェイスにおいて、自分自身の視覚をもって最もまじまじと見つめられる「自分」がマウスカーソルだということなのでしょう。だからマウスカーソルの断りない変更や消失は、自分自身を侵されたようなショックを感じるのではないでしょうか。
逆に言うと、マウスカーソルはユーザーにシリアスな体験や生理的な反応をさせるためのインターフェイスになりうるということで、広告系のflash作品などにそういった効果を狙ったものをよく見かけるような気がします。1-click awardとか(去年のもそうでしたね)。マウスカーソルを勝手に変えられるのは嫌いなくせに、こういうのは僕はけっこう好きだったりします(自分でも以前こんなのを作りました。マウスプレスするとカーソルがむっくり立ちます)
あとさらに逆に、「マウスカーソルを使うことで現実の自己を拡張する」なんてのもありますな。マウスカーソルと自己感覚ってのは掘るともっといろいろありそうですが、とりとめもなくこのへんで。








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